「いますぐ書け、の文章法」堀井憲一郎

スランプになって書けなくなったとき読んで救われた本。

以下、気になった部分を抜粋。

「誰に」だけが大事です。「何を伝えたいのか」は、あとまわしでいい。場合によってはまったく気にしなくていい。

 

あなたは、あなたがいま持っている言葉で書けばいい。

持っているものだけで戦う人の言葉だけが、きちんと人に届く。

 

書くかぎりは、断定する。もちろん根拠を示して断定する。

「断定するのは読む人のため、断定しないのは自己弁護のため」だからだ。

言い切れないなら、書くな。

 

みんな、文章を書くことによって、もっと、傷つくしかない。

最初からそれがうまくいくわけがない。自分のオリジナル視点を否定されて、傷つくしかない。失敗するしかない。鼻で笑われ、相手にされず、評価もしてもらえないような企画を抱え、それでも自分のほうが正しいとおもえるものを胸の奥深くに抱え込み、受けるとおもったのに受けなかった企画について素直に自分の失敗を認めて、それで進むしかない。

 

文章にとって大事なのは勢いです。意味よりも勢い。

 

読者は絞ったほうがいい。

絞った相手に、本気で語ると、伝わる。

 

オリジナルなんて、たった一つの新しい視点さえ示せばいいのだ。

 

文章は、発表した人のものではない。

読んでくれる人が存在して、初めて意味がある。つまり文章は読み手のものである。

 

アマチュアながら文章を書いてやがてプロになっていく人の特徴は「忙しいさなかでも書き続ける」というところに尽きる。

 

国語力の問題は関係ないから、勉強をしないほうがいい。でも、いまのままでは同じだから、とにかく視点を変えなさい。意識を根底からくつがえしなさい。自分の言いたいことを言うんじゃない。読んでる人が喜ぶものを書きなさい。

 

傷つける目的の文章は、できるかぎり書くな、人生において、その回数は可能な限り減らせ、ゼロであるのがもっとも望ましい。

 

どういう文章を人はおもしろいとおもうのか。

「知らなかったことを知る」

そのとき、人は面白いとおもう。

 

いい文章を書くにはという問いに対する答えは、つねにひとつである。

「先人の書いたよい作品、よい文章を読め」

読むだけではなくて、暗誦できるともっといい。

 

おのれを殺して、ただひたすら「聞いてもらいたい話をよりおもしろく伝えること」だけを念頭に考えて書けばいいのだ。読んでる人は、誰が書いたかを気にしない。それがいい文章だ。

 

文章をサービスだと捉えられていた人だけが、お金を取れる文章を書けるようになる。

 

名エッセイというのは、その人を変える要素を心地よい文章でくるんであって、その、底に潜んだ尖った部分をストレートに感じないように仕上げてある、その装いのさりげなさに凄みがあるのだ。

 

ある出来事、もしくはある話によって、自分が驚き、自分が変わったと感じ、それを人に伝えようとする。その心持ちが根幹にあれば、ちゃんとした文章になる可能性がある。

 

人に話して楽しいこと、自分が好きなもの、そこから始めるのがよろしい。

そのときに発する熱が一種異様さを帯びると、その対象に興味がない人も惹きつける。

 

読者は不親切で不熱心だから、ちょっとでも不安定な要素が入ると、読むのをやめる可能性が高い、ということなのだ。

 

読む人の立場で考えるということは、「『あまり、興味ないんだけど』とおもって読み始めた人」をどう引き込んできて、本気で読ませるか、その方法を考えることになる。

 

文章が受け入れやすいこと。

これが大事。

ぱっと見られた瞬間の印象として、漢字がそんなに多くない、難しい表現もいっぱいあるわけではなさそうだし、カタカナも少ない、改行が適度にしてあって読みづらくなさそうだ。

 

タイトルがつけにくいのは、いろんな要素が入っているからで、それが“わかりにくい文章”の典型です。だから、タイトルがつけやすいのがいい文章。

 

どういう企画がいいか悩んだとき、考えすぎてわからなくなったとき、立ち返るポイントが「それは、人を変える可能性があるのか」という問いになる。人を変えるというのは、誰か喜んでくれるか、という視点でもいい。

 

「仮説を立てて、それを証明するために調査をする」のである。大事なのは「仮説」だ。「調査をしたという実績」ではない。

「調査をして、それを集計すれば、新しい何かが見つかるだろう」という考えを、とにかく即座に捨ててください。

 

「おもしろい企画は、突然、結論だけがおもいうかぶ」ということだ。

直観は過たない。誤るのは判断である。

いきなり、あ、これじゃないかな、という結論を先におもいつくのが、新発想である。地道にこつこつと疑問を調べたところで、発見にはたどりつかない。

 

まず「なんか変」とおもうところから始まる。

「何か変だな」を一週間で何回持てるか、である。日常生活で。

それをいくつストックしてるか、がすべてである。

 

あとで読んで、これ、おれが書いたのか、よくこんな表現をおもいつくよな、とおもえるとすごく楽しい。日常生活で使ってる頭の部分で見ると、よく知らない人が書いてるものに見える。それが、書いていて、おれにとって、いい文章。

書くというのは、そういう憑依したものを出してくることだとおもっている。