「社会人大学人見知り学部卒業見込」若林正恭

以下、気になった部分を抜粋

むかし事務所からも見放されファンもいない時期、相変わらず努力する姿勢の見えない春日に変わってもらいたくて「二十八にもなってお互い風呂なしのアパートに住んで、同級生はみんな結婚してマンションに住んでいるというのに、恥ずかしくないのか?」と問い詰めた。

相方は沈黙した。

三日後、電話がかかってきて、春日は「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力ってできないんですかね?」と真剣に言ってきた。

本当にずっと不思議だった。全然ウケないし、負けまくっているのに、なんでこんなに幸せそうなんだろう。

確かに、前より生活に困ることはなくなった。

でも、幸福感はさほど変わらないんだ。

春日はずっと楽しそうで。

若林はずっとつまらなそうだった。

ここに何かの鍵があるような気がしていた。

 

これまでぼくは起きもしないことを想像して恐怖し、目の前の楽しさや没頭を疎かにしてきたのではないか?

深夜、部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい。

そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、二十年調査した結果、それただの穴だよ。

地上に出て没頭しなさい。

ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。

 

今がベストな形かどうかはわからないけど、他人の樽からおっさんがバンバン飛んでいるのを横目に剣をたくさん刺した記憶はある。

そして、今の漫才の形が受け入れられた時、ようやくぼくの手元にある一つ目の樽からおっさんが飛んだんだと思う。

何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている。

 

あー、めんどくさい。

俺はもう星も齧るし、大袈裟に笑ってやる。己の矜持のようなものを徹底的に雑に扱ってやると決心した。

ぼくが憧れていたスーパースターはみんなきっとそうしないだろうが、だってもう、めんどうくさいから。

やってみると道が開けて楽しくなることを知るのはそれからずっと後のことである。つまり最近である。

 

ぼくは社交や礼儀作法よりも熱と量と持続を信用している。

 

主観の強さ、客観性の希薄さを持っている人は強い。

主観の強い人のエネルギーに、客観により自分を制御しながら生きている多くの人は惹きつけられて「スター」と呼んだりするのであろう。