収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。
そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。
私たちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。
12本の煙草はなんと12杯のスープを意味し、12杯のスープはさしあたり2週間は餓死の危険から命を守ることを意味した。
被収容者が煙草をたしなむとは、生き延びることを断念して捨て鉢になり、人生最後の日々を思いのままに「楽しむ」ということなのだった。
仲間が煙草を吸い始めると、私たちは、行き詰ったな、と察した。
事実、そういう人は生き続けられなかった。
精神医学では、いわゆる恩赦妄想という病像が知られている。
死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想し始めるのだ。
それと同じで、私たちも希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないだろうと信じた。
人間はひとりひとり、このような状況にあってなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。
典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。
生きしのげられないのなら、この苦しみの全てには意味がない、というわけだ。
しかし、私の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。
すなわち、私たちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。
もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、私の真価を発揮できるときが来る、と信じていた。
けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。
おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人々のように内面的な勝利をかちえたか、ということだ。
医長によると、この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年のあいだの週に、かつてないほど大量の死者を出したのだ。
この大量死の原因は、多くの被収容者がクリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められるというのだ。
自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
まさに自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。
収容所にいたすべての人々は、私たちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にないことを知っていた。
私たちは、幸せなど意に介さなかった。
私たちを支え、私たちの苦悩と犠牲と死に意味を与えることができるのは、幸せではなかった。
にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。
少なからぬ数の解放された人々が、新たに手に入れた自由の中で運命から手渡された失意は、乗り越えることが極めて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない。