「あなたの苦手な彼女について」橋本治

「結婚とは何だったのか?」の答えは、存外簡単に出そうにも思えます。

つまり、「家を作ること」です。

もちろん、この「家」は建物のことではなく、人間の生活する単位のことです。

 

今や「家」は、「ただの単位」です。

「今や」ではなく、もう六十年も前から「ただの単位」です。

「家にまつわる鬱陶しい何か」というのは、これを規定する民法が、ある時突然変えられたことと関わるはずです。

 

たとえば、一人息子と一人娘が結婚してしまえば、そのことによって、どちらかの家の姓は、早晩消滅してしまいます。

消滅してしまう姓の親たちは、「家が絶えてしまう」と騒ぎます。

それは、実は「家が絶える」ではなくて、「姓が消える」でしかないのです。

「先祖から伝えられて、未来にまで伝えていかなければならない家」というものは、1947年に存在しなくなって、その後の「家」というものは、「両性の合意のみによる」とされる「結婚」によって生まれて、たかだか二世代で消えてしまうものなのです。

 

「戸籍が別々になっても親子は親子」であって、「結婚すると独立した家になる」も決まっている。

「家の事業の継続」はあっても、「家の相続」ということは起こらない、ということになってはいても、「家を継ぐ」という発想だけはまだ生きている。

 

新しい家を「男の姓」にするか「女の姓」にするかで揉めるんだったら、「そこに新しい姓を与える」ということを考えればいい。

そうすれば、「家というものは、男女の結婚によってはじまり、親子二世代限りで消滅し、新しく生まれては消えていくということを『繰り返す』ものである」ということがはっきりします。

 

「自分は、社会を構成する最小単位の中にきちんと位置付けられている」と思うことは重要なことで、このことを前提にすれば、「自分が生きていることが社会参加につながらないような社会のあり方はおかしい」ということは、ちゃんと理解されるはずです。

位置付けを欠いた思考は、いくらでも自在になります。

でもその自在さは、一向に「外」とは噛み合いません。どんどん自在になるだけで、自己完結へ導いていきます。

「自分がどこに存在して、自分の思考はどのようであってしかるべきか」という自覚のない人の思考は、どんどん自在になって、現実から遊離していきます。

「あなたの苦手な彼女」とは、今や「男女」を超えて存在するそういう人たちの別名であるはずなのです。