「絶望の時代の希望の恋愛学」宮台真司

20年後に不可欠なものとは何か。

答えは「ホームベース」を構築する力。

「ホームベース」とは、出撃基地となり、帰還場所となるような、絆に支えられた関係性です。

「ホームベース」を持つ者だけが、たとえ不利な状況でも持続的に戦い、たとえ心身の状態が悪くても戦いに向けた強い動機を維持します。

意志力は心身の状態が悪くなれば貫徹できなくなります。意志力より大切なものは、「ホームベース」の存在です。

 

他人を幸せにできる者だけが、幸せになれる。

似たことですが、うまく生きることだけを考え、まともに生きることを考えない人は、幸せになれない。

他人を幸せにする力のない者には今後「ホームベース」が得られないからです。

 

古今東西、感染を引き起こすスゴイ人は、自己犠牲的で利他的な存在です。

自己防衛的で利己的な存在は感染を引き起こしません。

 

自分に関心を持つのはやめて、他人や対象に関心を寄せるんです。

いいですか?「自分に関心を寄せるほど自分の価値が減っていく」という節理があります。

なぜか。他人にとって意味がある存在になれないからです。

 

「新しいことを探す」というよりは、喜ばしくないような傷つくこと、やるにあたって怖いけど気になってしまうことって必ずたくさんあると思うんですよ。

じゃあそこから始めればいい、というだけなんじゃないでしょうか。

身体のエラーは、起こせば起こすだけ痛いんです。そして身体のエラーを起こしそうなところに飛び込んでいくと、そのエラーに比してすごくいいものも手に入れられます。

だから身体の感覚が肝なのだと思います。

 

「傷つく」というのは悪いことじゃなくて、ちゃんと接しようとしたけれど、うまくいかなかったという「結果」でしかないんです。

だから傷つくというのは、「ちゃんとやった」ということです。

 

子供みたいに役割取得が端的な喜びだと感じられるのが大切です。

ただし相手があなたをどう見ているかを気にすることではない。多くの場合あなたのことは相手にとってどうでもいい。相手があなたならぬ世界をどう感じているのかを、あなたが理解できること。

この奇蹟が与える喜びに開かれていれば、理解の失敗も、次なる成功への道で、成長の糧です。

むろん理解にはレイヤーがあります。相手に「深く入る」ことを目指し、失敗を糧に、更に「深く入る」ことができるようになることが、喜びでないはずがありません。

 

自分が世界の中心にいるかの如き愚昧を捨てるのが、「恨みベース」から「希望ベース」へのシフトの端緒です。

自分が世界の中心にいるかの如き愚昧も、いつもあなたの制御を主題化していた親が与えた壮大な勘違いです。

あなたは世界の中でどうでもいい存在、イエスの言う貧しき者、です。

あなたにどれ程の内なる光「内発性」が宿るかだけが、全てを決めるのです。