「朝日ぎらい」橘玲

以下、気になった部分を抜粋

これまでの常識では、若者はリベラル(革新)で、家族や資産など守るべきものが多い高齢者ほど保守化するはずだ。

ところが「保守」の安倍政権は若者に強く支持されている一方、高齢者からは嫌われている。

これはものすごくシンプルに説明できる。かつて「リベラル」とされていた政党が「右傾化」したのだ。こうして「リベラル」な若者は、より自分たちの政治的主張にちかい自民党=安倍政権を支持するようになった。

 

日本社会は、「既得権にしがみつかないと生きていけない世代」と、「既得権を破壊しなければ希望のない世代」によって分断されている。

「リベラル」を自称するひとたちは世代間対立論を毛嫌いするが、これ以外に高齢者と若者で右と左が逆転する理由は説明できない。

 

50代以上にとっては、日本的雇用や(年金などの)社会保障制度を「保守」することが最大の利益だ。

高齢のリベラル層が保守化することによって、「リベラル」な政党が支持者に合わせて「右傾化」していった。

 

若者が“改革派”の安倍政権を支持し、高齢者層で支持率が低くなることになんの不思議もない。

奇妙なのは、保守(守旧派)でしかないひとたちが自分のことを「リベラル」と言い張り、改革を進める安倍政権を「独裁」と批判していることなのだ。

 

「リベラル」の最大の失態は、「雇用破壊」とか「残業代ゼロ」とか叫んでいるうちに、同一労働同一賃金などのリベラルな政策で保守の安倍政権に先を越されたことだ。

なぜそれができないかというと、大企業の労働組合もマスコミも、正社員の既得権にしがみつく中高年の男性に支配されているからだろう。

ここに日本の「リベラル」の欺瞞がある。彼らは差別に反対しながら、自らが「差別」する側にいるのだ。

 

先の悲惨な戦争が終わったあと、日本を破滅に追いやったのは「軍国主義」であり、それは「愛国」と同義だとされた。

戦後の「朝日」的なリベラルはずっと、「愛国=軍国主義」を批判してきた。

その結果、「愛国」は右翼の独占物になり、リベラルは「愛国でないもの」すなわち「反日」のレッテルを貼られることになった。

ここに「朝日ぎらい」の大きな理由があることは間違いない。

だがこれは、日本でしか見られないきわめて特異な現象だ。

アメリカのリベラルなメディア(CNNやニューヨークタイムズ)はトランプから「フェイクニュース」とさんざん批判されているが、「反米」と罵られることはない。

「戦後民主主義」は「愛国」を拒絶してきたために、「愛国リベラル」という世界では当たり前の政治的立場を失ってしまった。

 

リベラルとは、本来は「Better World(よりよい世界)」「Better Future(よりより未来)」を語る思想のはずだ。

だがいつのまにか日本の「リベラル」は、憲法にせよ、日本的雇用にせよ、現状を変えることに頑強に反対するようになった。

「改革」を否定するのは保守・伝統主義であり、守旧派だろう。

これは、「戦後リベラル」を担う層が高齢化して、「なにひとつ変えない」ことが彼らの利益になったということでもある。

 

アメリカの白人のあいだで階級格差が広がっている事実をもっともよく示すのが、ホワイト・ワーキングクラス(白人労働者階級)の死亡率が増加していることだ。

世界的にもアメリカ全体でも平均寿命が伸び続けているというのに、彼らの平均寿命だけが短くなっている。

彼らに共通するのは、「アメリカ社会から見捨てられた」という強い怒りだ。それが「白人」という記号と結びついて強固で偏狭なアイデンティティとなり、巨大な政治勢力へと成長した。

こうして、ドナルド・トランプという異形の大統領が誕生したのだ。

 

右派の権威主義者は保守的であると同時に男性中心主義でもある。

そんな彼らが、「リベラル」で「知能」が高く「裕福」な「女性」である(すなわちなにひとつ共通するもののない)ヒラリー・クリントンをこころの底から憎んだのは当然なのだ。

 

社会心理学の研究によれば、政治観は年を経るにつれて変化するのではなく、一定の年代で固定するとされている。

それが10代後半から20代前半で、この時期に特定の政治イデオロギーを支持すると、それは年齢を重ねてもなかなか変わらない。

 

ネトウヨについてのいくつかの調査は、彼らの中心が40代であることを示している。

これは奇しくも、20代で日本と世界の激変を体験し、「右」と「左」の価値観が逆転した世代だ。

 

「日本のサラリーマンは過労死するほど長時間働いているが、生産性がものすごく低く、世界でいちばん会社を憎んでいる」ということになる。

家庭に目を転じると、日本では若い女性の3割が「将来は専業主婦になりたい」と思っており、専業主婦世帯は約4割と先進国では際立って高い。

しかし不思議なことに、家庭生活に満足している女性の割合を国際比較すると、共働きが当たり前のアメリカやイギリスでは7割が「満足」と答えるのに、日本の女性は4割ちょっとしかない。

専業主婦になりたくて、実際に専業主婦になったにも関わらず、彼女達の幸福度はものすごく低い。

 

近代的な市民社会は自由な個人によって成り立つが、戸籍は社会を「イエ」によって管理しようとする世界でも日本にしかない奇妙な制度だ。

夫婦別姓や共同親権が認められないのは、「イエに姓はひとつ」で「子はいずれかのイエに属する」とされているからだ。

日本はいまだに、イエを単位とした前近代的社会から個人を単位とした近代的社会に移行できていない。

 

現代社会が抱える問題とは、先進国でも新興国でも、知識社会から脱落し、仕事や恋愛での自己実現に失敗し、「たったひとつのアイデンティティしかもてなくなったひと」がますます増えていることだ。彼らのアイデンティティはきわめて脆弱なので、それを侵す(と感じられる)他者に激烈な反応を示す。

「アイデンティティという病」から生まれるグロテスクな「愛」と「正義」こそが、“右傾化”と呼ばれるものの正体なのだ。

 

私はこの10年あまり、「日本は先進国の皮をかぶった前近代的身分制社会」だと述べてきた。

「新卒一括採用」は世界では日本でしか行われていない“年齢差別”で、そこで失敗すると「非正規」という下層身分に落ちて這い上がることは難しい。

このような差別的慣行を容認しておきながら「自己責任」を主張することは、「日本人・男性・中高年・正社員」という属性をもつ日本社会の主流派の既得権を守ることにしかならない。

いま必要なのは、すべての労働者が身分や性別、国籍に関係なく「個人」として平等に扱われるグローバルスタンダードのリベラルな労働制度に変えていくことだ。

だが奇妙なことに「リベラル」を自称するひとたちは、自己責任論を批判しながらも「日本的雇用を守れ」と主張することで、結果として「差別」に加担している。

リベラルであればこそ、差別の温床となっている日本的雇用を「破壊」しなければならないのだ。

 

リベラリズムを蝕むのは「右(ネトウヨ)」からの攻撃ではなく、自らのダブルスタンダードだ。

日本のリベラルにいま必要なのは、保守化した「リベラル高齢者」の既得権を破壊する勇気だ。

年金も健康保険も終身雇用も年功序列もなにひとつ変えないまま、若者に夢を与える未来を描くことなどできるはずはない。

だが残念なことに、「朝日的」なるものはいまや「リベラル高齢者」「シニア左翼」の牙城になりつつあるようだ。

自分たちの主張が若者に届かないのは、安倍政権の「陰謀」ではない。