漫才の基本は「偶然の立ち話」です。
ある二人がたまたま会って喋り始める。
片方が変なことを言って、もう片方が突っ込む。それがどんどん繰り返される。
「偶然の立ち話」という設定のもので、どれだけ「打ち合わせがない」ように見せられるかどうが。
ボケの加害者が仕掛けてツッコミの被害者が打ち返す、というのがずっと繰り返されるのが漫才の基本です。
関東勢は、どちらかというと「手段」を考えることに力点を置いている。
傾向と対策を練り、「どうしたらお客さんを笑わせられるか」という合理的思考に長けている人が多いように見えます。
それに対して関西勢は「笑ってもらえるネタを作ること」よりも、「面白い漫才師になること」にこだわる職人気質の漫才師が多いと思います。
漫才に新しい風をもたらした、いわゆる「システム漫才」の生みの親は、僕の中やとブラックマヨネーズやチュートリアルです。
2005年はブラックマヨネーズ、2006年はチュートリアルと、立て続けにシステム漫才がチャンピオンになりました。
さらに2007年のチャンピオンは、サンドイッチマンでした。
前にも話した通り、サンドウィッチマンの漫才は「設定上の役柄」を演じ切るコント漫才です。
こうして3年連続で伝統外の漫才師がM1チャンピオンになった。M1がいったん終了する前にも、すでに新しい潮流は生まれていたわけです。
次第にコントの要素を取り入れた新しいスタイルを試みる漫才師が現れ、さらには漫才の外側にいたはずのコント師が漫才をやり始めて、M1にもどんどん挑戦するようになってきました。
そうなると、何が一番ぶっ飛んで見えるかというと、間違いなくコント師なんです。
漫才の外側に無限大に広がる世界にいた人たちが、そこにあるいろんなものを持ち込んで作る漫才だから、とにかく真新しく見える。
それゆえに評価されやすく、「漫才を始めたコント師」たちは、みるみるM1決勝の常連になりました。
おそらく多くの漫才師たちが考えていることは、その枠組みから飛び出すことでしょう。
結果的に、今のM1は「漫才の内側から外側にはみ出ようとする漫才師たち」と「漫才の外側から内側へと挑むコント師たち」の異種混合戦になっています。
近年にM1で関東勢の優勝が続いてきたことにも影響しています。
手段で見せる関東勢の層がぐんぐん分厚くなり、実力をつけている一方で、人間で見せる関西勢が、実は地域の壁を超えきれていない。
2000年に結成したダイアンは、2008年ごろにはもう仕上がっていて、関西では知らない人はいないくらい売れていました。
ところが関東に来てみると、どうも津田くんのツッコミの面白さが伝わらない。
関東でも名が知れるようになったのは、ここ数年のことですから、関西から全国区なるまでに10年くらいのタイムラグがあったということです。
「決勝の審査員は?」と聞かれることもありますが、今のところオファーはないし、自分でもやりたいとは思いません。
やりたくない李湯は単純です。
出場者が「この人に審査してもらいたい」と思う歴代チャンピオンの中で、僕はかなり下の方に位置するだろうという自覚があるから。
今、若手の漫才師を中心にシステム漫才をやっている人たちは多いので、やがて、システム漫才が主流になっていく可能性もあります。
そうすると今度は旧来のパワータイプが珍しくなってきて、そのほうが「真新しい」ということになってくるでしょう。
当時のぼくはなぜ、自分はこんなにもつまらないのかと思い悩んでいました。
そして、ある一つの答えに行き着いたんです。
僕には「意見」がないんや。
「意見」があるやつはなんか尖ってる。なんか面白い。そう気づいて以来、目にするものすべてに「意見」を持とうと努めてきました。
知名度が上がるにつれて、漫才に軸足を置きたい僕と、テレビを主戦場にしたい井上とのあいだには温度差が出てきていました。
ルミネTHEよしもとの出番でのことです。
井上があまりにもやる気のない漫才をしたので、ステージからはけるや否や僕がキレてしまったんです。
それに対し、言い返すわけでもなく、議論が始まるわけでもなく、ふてくされたような態度をとる井上を見て、気持ちが冷めてしまいました。
これらがきっかけでNONSTYLEを続けられないと思いました。
マネージャーにも「もう解散します。井上とは別にやっていきます」と伝えて、他の芸人とネタライブをやる算段を付け始めました。
井上が交通事故を起こしたのは、その矢先のことでした。
井上が謹慎している間も、ネタはずっと書いていました。
ピンではなく2人でやる漫才で、井上をいじるだけの新ネタを10本書きました。
この頃には、僕の中ですでに「解散」の雰囲気は消失していました。
今の若手漫才師の中でもぼくが個人的に注目しているのは、エバースとぎょうぶ、ぐろうの2組です。
実はひそかな夢というか、「こうなったらええな」という未来像があるんです。
それは、僕が教えた子たちが将来売れて、舞台とかテレビで一緒になったときに、僕のことをガンガンいじること。