「とにかく仕組み化」安藤広大

トッププレイヤーであるエース社員が引き抜かれて、その会社が絶望に立たされるとしましょう。

しかし人の上に立つ人は、残されたメンバーを信じないといけません。

「一時的にピンチです。しかしこのメンバーなら大丈夫です」ということを伝えるのです。

すると思いもよらなかった社員が代わりにエース級の活躍をするようになります。

そうやって人の成長を信じ、入れ替わりが起こるのが「いい組織」です。

仕組があればピンチを救えます。

「優秀な人」がいることが「優秀な組織」であることとイコールではありません。

むしろ逆です。

「優秀な人が不在でも、チームとして機能することで勝てる組織」

それが、優秀な組織です。

初年度に営業の全員の順位が出ます。

その後、2~3年後も同じ順位のままだったとしたらその組織はマズい。

最初は下位グループだったのに努力によってトップにまで上り詰めたり、逆に最初は優秀でもさぼると追い抜かれたりしていく。

本来であればそれが組織としてきちんと機能している証拠です。

経営者ではない「カリスマ的な名物社員」がいる組織は要注意です。

カリスマがいる組織ではカリスマが自分の権限以上の力を持っています。

カリスマ不在の組織では優秀な人もみな謙虚です。

なぜなら仕組みのおかげで活躍できていることに気づかされるからです。

新しい仕組みを取り入れるとき、必ず反発は起こります。

会社での判断軸は一つです。

「ちゃんと成長したい人が成長できるかどうか」

それだけです。

成長を諦めた人たちもいるかもしれません。そういう人たちからの反発に負けないでください。活躍する人が辞めるような組織にしないでください。

「ビジョナリーカンパニー」という名著に「誰をバスに乗せるか」というテーマがあります。

メンバーを決めて、バスはとりあえず進みます。

そして次がポイントです。

「不適切な人にはバスを降りてもらう」というのです。

ルールを決める場面で、2つの意見に分かれることがります。

その場合、

「AさんはAのルール、BさんはBのルールを」

と個別対応にしてしまうと、後から問題が起こります。

ハッキリと線引きをして、

「Aでいきます」とキッパリ決めることが人の上に立つ人には求められます。

明文化して「これは私が決めました」と、主語を自分にして伝えましょう。

本来なら指導された後に

「このままではまずい」

という恐怖が本人の中に芽生えないと意味がありません。

本当に必要な指導をすると、次のようなことを感じるはずです。

「未達が続いて相手にされず、行動するしかなくなる」

「このまま成長しないと会社に居場所がなくなるかもしれない」

そういう危機感が芽生えるのが正しい指導です。

なぜなら次に何をすればいいかが分かっているからです。

頑張る方向性が分かると、「努力すれば恐怖から回避できる」というように、正しく現実と向き合るようになります。そういった「正しい逃げ道」とセットであることが大事です。

「〇〇を達成すれば評価します」

「〇〇に未達だと評価しません」

と「明文化されたこと」について指摘するだけです。

逆に、「書いていないこと」で罰を与えたりしてはいけないのです。

ルールにないことでは絶対に厳しく指導しない。常に責めるのは「仕組み」のほうです。

「未達成だと降格・降給となること」を明文化しておくことは会社がやるべきことです。

成果をあげなくても何も影響がないとしたら、それは最終的に

「別にがんばらなくてもいいんだな」

という認識につながります。

責任として自分に跳ね返ってくるかどうか。

それは大事な仕組みです。

部下から未達の報告を受けたとき、どう返すかがポイントです。

ここで考えるべきなのは、言い訳を聞くことではありません。

「次にどのような行動をとるか」を確認するだけです。

「次はどうしますか?行動をどう変えますか?」

と確認して、次の具体的な行動を引き出すことです。

Aさんは30%の成長をしているのに、周りがまったく変化を起こさない会社もあります。

なぜなら、競争環境が整っていないからです。

変化率がある組織とない組織の違いはその1点のみです。

「結果を出しているAさんだけが特別な環境にいる」

という状態を作らないことです。

私たちは、会社そのものが社会から必要とされることによって、その会社の一員であることを誇りに思います。

個人の中に

「この会社に居続けないと、損な気分になる」

という気持ちが芽生えるからです。