「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋

【藤田】

ネットでは既存のものよりも際立って優れているか、まだ誰も提供していないものでなければ存在意義がありません。

僕は『最高』か『最速』しか生き残れないと思っています。

 

経営者が常に正直でオープンな姿勢を心がけていることが大事です。

たとえ、自分がすごく自信を持っていたとしても、やはりどこかに不安や迷いはあるはず。それを率直に相手に見せてしまえばいいのです。

 

【見城】

「極端」なものは既成概念から自由で、インパクトがあり、人を惹きつける。

では、どうすれば、「極端」なものを生み出せるか?

「中間」を憎み、極北を目指して圧倒的努力をするしかない。どこから手を付けていいかわからない膨大なものに、手を付け、最後までやり通すことだ。

 

僕は、対人関係でも「極端」を心がけている。

恩返しはこちらの立場が危うくなるほど極端にする。そうでなければ、相手の心に響かないからだ。恩返しほど人間力の差がつくものはない、と僕は信じている。

 

僕は「この人は」と思う人の「お願い」は、たいてい聞くことにしている。「お願い」は、こちらが苦労するようなものであればあるほどいい。

結果として僕は、相手に貸しを作る。

その貸しが、百になったとき、僕はその人に、ようやく一つ「お願い」をする。それは僕にとってビッグ・ビジネスを実現するために譲れない「お願い」である。

こちらがしたこれまでの苦労は、十分伝わっているので、相手は必ずそれを実現しようと努力してくれる。

 

「この世あらざるもの」とは、日常性を突き抜けたところで、オリジナリティを獲得した極端なものである。

大衆はそれにどうしようもなく惹きつけられる。

「この世あらざるもの」をどう作るか。これを常に考えていれば、たいていのエンターテイメント・ビジネスはうまくゆくだろう。

僕もまた、いつもこれを考えている。

 

多くの人は、すでに売れたものを研究して、自分も売れるものを作ろうとする。

しかし、そんなことでは、大したヒットは生まれない。

ヒットの条件はただ一つ、どれだけ「極端」があるか。

僕が手掛けた本で、ヒットしたものに共通するのは、内容にも売り方にも、これまでになかった極端さがあるということである。

 

もし誰かが、うまくいかないと嘆いていたら、

「君は身体を張ったのかい?」

と問いたい。

身体を張って七転八倒しながら、リスクを引き受けて、憂鬱な日々を過ごす。そうやって初めて、後悔のない、清々しい気持ちになれる。

自分を傷めないで、誰が僕に心を動かしてくれるだろうか。