「私の財産告白」本多静六

平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。

本業専一たるべきこと。

一つのことに全力を集中して押しすすむべきこと。

これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功をかち得る唯一の道である。

しかも職業上の成功こそは、他のいかなる成功にもまして、働くその人自身にも、またその周囲の人々にも人生の最大幸福をもたらすものである。

 

いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きにして貯金してしまう。

そうして、その余の四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。

これが、私の二十五歳のときから始めた貯金法である。

当時におけるこの考え方は、現在でも経済生活の行き詰まり打開に応用できると確信する。

 

貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。

いたずらに家柄を誇ったり、いままでのしきたりや習慣にとらわれることなく、一切の見栄をさえなくすれば、四分の一天引き生活くらいは誰にでもできるのである。

 

貯金とアルバイトで雪達磨の芯を作る。

これからが「致富(ちふ)の本街道」である。新しく積極的な利殖法を考えることである。

それは断じて「投機」ではない。「思惑」ではいかん。

あくまでも堅実な「投資」でなければならぬのだ。

 

何事にも成功を期するには、ぜひこれだけは心得おくべしといった、大切な処世信条の一つを披瀝(ひれき)しておく。

それは、何事にも「時節を待つ」ということだ。

焦らず、怠らず、時の来るを待つということだ。

投資成功にはとくにこのことが必要である。

「好景気、楽観時代は思い切った勤倹貯蓄」(すなわち金を重しとする)、「不景気、悲観時代には思い切った投資」(すなわち物を重しとする)という鉄則を立てて直進することを人にもすすめている。

 

今回の痛手を生きた社会学の月謝とみるかみないかで、事業家としての君の将来が決せられる。

人生における七転び八起きも、つまりは天の与えてくれた一種の気分転換の機会である。

これを素直に、上手に受け入れるか入れないかで、成功不成功の分かれ目となってくる。

若い、将来のある人々で、七転びどころか、一転びしただけで、もう起き上がる勇気を失う者の多いのははなはだ遺憾である。

 

金儲けを甘くみてはいけない。

真の金儲けはただ、徐々に、堅実に、急がず、休まず、自己の本職本業を守って努力を積み重ねていくほか、別にこれぞという名策名案はないのであって、手っ取り早く成功せんとするものは、また手っ取り早く失敗してしまう。

没落のあとに残るものは悪徳と悪習慣、そしてときには不義理な借金ばかりであろう。

戦後いかにこうした小成金的金儲けのために、身を誤り、家を損なったものが多かったことか。