以下、気になった部分を抜粋
文章を書くことが決まったら、まずやるのは「素材」を探すことです。
文章の素材とは、どんなものか。
素材とは、3つ。「独自の事実」「エピソード」「数字」です。
誰もうまい文章なんて読みたがっていない、と気づいてから、私は肩の力を抜いて文章が書けるようになりました。
文章がうまいかどうかではなく、あくまで「読者の役に立つものになっているか?」「素材がわかりやすく伝わるか?」だけです。
素材は「早めに、たくさん集めて、あとで削る」というのが、最もロスがないプロセスなのです。
目的と読者を決めて素材を探していると、ふとした瞬間に「あ、これは文章の素材になるな」というタイミングが、何度も訪れるはずです。すべて残らず、必ずメモしてください。
「この表現はもっと適切なものがありそう」「この素材はやっぱりこっちに置いたほうが良さそうだ」
この「迷い」が、書くスピードをガクンと落とすのです。最終的には完璧な原稿に仕上げるわけですが、最初からそれを目指さない。推敲して整えることを前提に、まずは書ききる。
内容の正しさを優先すると読者の不快感を拭えないのなら、私は、読者の不快感を取り除くことを優先させることをおすすめします。(読者や文章に登場する関係者に失礼な言い回しがないか?)
どんなふうにして、読み手をおもしろがせてやろうか。びっくりさせてやろうか。感動させてやろうか。そういう気持ちをひしひしと感じる文章は、スラスラ読ませる力があります。
書き手の「気持ち」がしっかり相手に伝わるか、という点において、「おもしろがって書いているか」ということは、非常に大きな意味を持ちます。
文章は、あくまでコミュニケーションツールの一つに過ぎない。
大事なことは、伝える内容。つまりは「素材」です。
逆説的かもしれませんが、このことに気付いている人こそが、「文章を書くのが好きな人」なのではないかと私は思っています。
伝えたいことをそのまま書いて、それが伝わった喜びを知っている人。「文章を書くことそのものが目的になっていない人」と、言い換えられるかもしれません。