「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」吉田尚記

人は自分が淀みなく話している時に楽しいと感じられる生き物なので、それをワクワクしながら聞ける姿勢をとれるか否か、そこにコミュニケーションの実りは懸かっています。

なぜ、この人と話をすると楽になるのか。

楽しく、心地よく、気まずさなんてどこ吹く風でうんうんって話を聞いてくれる人、自分のことに興味を持って、いろいろと訊いてくれる人。驚いたり笑ったり、話が転がって退屈しない人。

そういう人とコミュニケーションをとっていると人は確実に楽になれるんですね。

コミュニケーションというのは、じつは、コミュニケーションが成立すること自体が目的であって、そのときに伝達される情報は二の次なんです。

コミュニケーション・ゲームのルールとは、

①敵味方に分かれた「対戦型のゲームではない」、参加者全員による「協力プレイ」

②ゲームの敵は「気まずさ」

③ゲームは「強制スタート」

④ゲームの「勝利条件」はさまざま

人間誰しも、負けてると思うからコミュニケーションに参加したくなるんです。

自分の正当性を主張したくなるし、相手にそれを認めさせたくなる。

でもそれではまだ、コミュニケーションを相手との対戦型として考えてしまっているんです。

コミュニケーションは協力プレイです。

協力プレイである以上、相対的な比較や優劣なんて関係ありません。

コミュニケーション・ゲームでは、劣等感は無視する。

生まれてしまった気持ちを無視することは、努力次第で出来るはずです。

非戦のコミュニケーションを積み上げていった先に何があるかというと、究極は沈黙なんです。

話題とは質問であって、自分の話をするのではありません。

いきなり自分の話を始めるのは、相手に対して「あなたにはニーズがない」と言っているようなものです。

会話における本質的な問題は、じつは「質問」に凝縮されるんです。

これはある伝説的なディレクターが指摘していたことですが、本当に面白い芸人さんで「はい、どーもー!」って出てくる人間はいないそうです。

確かに、面白い芸人さんはまずお客さん、コミュニケーションの相手がどう感じているかを察してから話し始めます。

会話が弾めば中身は後からついてくるものなので、とにかく相手が答えやすい質問を繰り返せばいい。

逆に相手からこのあたりの話を聞き出そうと意図して質問すると、インタビューが調査か取り調べになってしまって、お互いに楽じゃないんですね。

相手から話を振られやすくなり、会話が弾み、周囲に認められるキャラクターになれるのか?

その本性を考えてみると、自分の欠点こそが最大の強みなんです。

これがほぼ唯一の自分でできるキャラクターの見つけ方、誤解を恐れずに言えば、キャラの作り方なんです。

キャラクターは自分の欠点から作られる。弱点、コンプレックスです。これをして愚者戦略と言います。

欠点を突っ込んでOKにして、それがキャラクターとして合意されていたら、その人は確実に周囲を楽しくさせるんです。

愚者であることを戦略的に自覚していると、ツッコミが入ったララッキーと思えるようになるんですね。

何が自分の欠点で愚者戦略の核になるか、事前には分かりません。

それはどうしたって自分から滲み出てきてしまう個性であり持ち味なので、他人の方がずっと敏感だし、周囲の予測が先に立つんです。自覚が先にあるのではない。他人の言葉が先。その機微に気付けるか、察知できるか、自覚はその後なんですね。

自分の認めたくない部分と言うのは、実は、すごくかわいがっている自我なんです。

イジられたらネガティブな方向に感情が走ってしまう欠点、弱点、コンプレックスは自分で大事に保護してる自意識なので、ここは「ナニが悪いんすか」と思って自分を少し突き放してみましょう。