「不格好経営」南場智子

愚かなおごりもあった。

自分が経営者だったらもっとうまくできるんじゃないだろうか。なんでもっと思い切った改革ができないのか。なぜ中途半端に実施するんだ。私だったら…。

もしそんなふうに感じているコンサルタントがほかにもいたら優しく言ってあげたい。あなたアホです。ものすごい高い確率で失敗しますよ、と。

私たちは1冊の本を渡した。

板倉雄一郎氏の「社長失格 ぼくの会社がつぶれた理由」。

一躍脚光を浴びたベンチャー企業が、わずか2年足らずで苦しんでのたうち回って潰れていくという壮絶なノンフィクション本だ。

この本を読んで、心が躍ったら来てくれと言って返事を待った。

調整ではなく決めるのが仕事であること、最後は自分の腹に聴くことを教わった気がする。

コンサルタントじゃないんだ、事業家なんだ…。

旦那がいつも通り凄まじい寝相ですやすや寝ていた。

その横で「システム詐欺にあった」とつぶやいた。

旦那はむくっと起き上がり、予算規模などいくつかの質問をしてきて3つのことを言った。

①諦めるな。その予算規模なら天才が3人いたら1ヶ月でできる。

②関係者、特にこれから出資しようとしている人たちに、ありのままの事実を速やかに伝えること。決して過少に伝えるな。

③「システム詐欺」という言葉をやめろ。社長が最大の責任者、加害者だ。なのにあたかも被害者のような言い方をしていたら誰もついてこないぞ。

これだけ言うと、またひっくり返って寝てしまった。

びゅーびゅーと音が出るほどマッキンゼーライフを謳歌していたことは述べたが、出だしは実に絶不調。仕事は予想以上に厳しかった。

結局、朝9時の指示の意味を理解するのは夜中の1時。一事が万事その体たらくで朝4時、5時の帰宅は当たり前。新米は9時にはデスクについている必要があり、平日の睡眠時間は2,3時間。寝不足で日中は抜け殻状態になってしまい、頭がさえ始めるのは夜中1時。結局朝帰りのパターンが続き、毎日出勤前に「こんな会社辞めてやる」といいながらシャワーを浴びるようになった。

賢いフリがうまい私は、就職活動で落とされたことがない。

転職先も定めてようやく精神が安定してきたこと、マッキンゼー社内で、すごいプロジェクトがとれた、メンバーに入ってくれという話が来た。

あのときあのまま辞めていたら、もしかしたらどこへ行っても「ここでもダメなんじゃないかな」とすぐに諦めてしまい、次から次へと転職を繰り返すジョブホッパーになっていたかもしれない。

同様に、今仕事が上手くいっていない社員がいたとしても、カチッと何かが符号すれば見違えるように伸び伸び活躍し始める可能性があるわけだ。

はじめからできるスーパースターばかりに頼るのではなく、人の力を信じて引き出せる会社にしていきたいと思うのは、このときの経験からだ。

わが社の最初のサービス、ネットオークションのビッターズは、1999年11月、皆の歓喜の中で生まれたものの、素人経営者の失敗のフルコースをくらってとんでもない難産となった。

そしてYahoo!、楽天に先行され、大手の中では最も後発の参入となってしまう。

しかも突貫工事で作ったシステムは脆弱で、1時間に何度もシステムダウンが起こるため、皆寝るときはパソコンを寝袋の両側、右と左に置いて寝た。

わが社は声の大きいユーザーに左右されないように、サービス改良の指針としてリピート率や離職率などの数字を最も重視することを徹底しているが、インターネットサービスの黎明期、ノウハウが確立していないこの時代に、ユーザーと徹底的に対話することでサービス業の本質を手探りで掴んでいったことは、その後のDeNAの姿勢を基礎となった気がする。

会社の資金は前日の通り増資により危険水域を免れたが、私個人の口座はとっくにすっからかんになっていた。

コンサルタント時代の給料はもらいすぎだったと思う。

しかし起業して、なにもここまで下がらなくても、というくらい急勾配で年収が下がった。

今、公演をしたりすると必ず訊かれる。

なんで諦めなかったんですか、と。自分でもそれが謎だ。熱病が続いてしまっていたのだと思う。

それと、チームが誇らしかった。こんな人材が集まるベンチャーは他にないのではないか。このチームでやってダメなら、世の中に成功なんてないんじゃないか。真っ暗なトンネルのなかで光はまったく見えないものの、出口があるということは一瞬たりとも疑わなかった。

ショッピング事業の強化による収益改善は計画よりも前倒しで順調に進み、2003年3月期の下半期、DeNAは黒字化を達成した。

その数字をじっと見ていたら、少し涙が目にたまり、黒字が滲んだ。

嬉しくて泣けたのは起業してから社長退任までの12年間でたった1回、このときだけだ。赤字の経営はきつい。利益は世の中にどれだけの価値を生み出したかの通信簿であり、赤字は資源を食いつぶしている状態だ。

ああこれでやっと世の中のすねかじりから卒業できた、存在が許される経営者になれた。そんなふうに感じた。

私の仕事はいろいろある。

提携交渉やトップ営業もあれば採用活動もある。

が、すべてを代わってもらっても社長として絶対に代わってもらえないのは重要事項の意志決定だ。

人の話をじっくり聞いて、議論も尽くし、最後に自身の責任で決断する。意思決定は内容の質も重要だが、タイムリーであることも同じくらい重要だ。

意思決定については、緊急でない事案も含め、「継続討議」にしないということが極めて重要だ。

コンサルタントから経営者になり、1番苦労した点でもあった。

継続討議はとても甘くてらくちんな逃げ場である。決定には勇気がいり、迷うことも多い。もっと情報を集めて決めよう、とやってしまいたくなる。けれども仮に1週間後に情報が集まっても、結局また迷うのである。

だから、「決定的な重要情報」が欠落していない場合は、迷ってもその場で決める。

私が何に苦労したか。まず、物事を提案する立場から決める立場への転換に苦労した。面食らうほどの大きなジャンプだったのだ。

コンサルタントとして、A案にするべきです、と言うのは慣れているのに、Aにします、となると突然とんでもない勇気が必要になる。

プレッシャーの中での経営者の意志決定は別次元だった。「するべきです」と「します」がこんなに違うとは。

意思決定のプロセスを論理的に行うのは悪いことではない。

でもそのプロセスを皆とシェアして、決定の迷いを見せることがチームの突破力を極端に弱めることがあるのだ。

本当に重要な情報は、当事者となって初めて手に入る。だから、やり始める前にねちねちと情報の制度を上げるのは、あるレベルを超えると圧倒的に無意味となる。

事業リーダーにとって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要となる。決めるときも、実行するときも、リーダーに最も求められるのは胆力ではないだろうか。

私が採用にあたって心がけていることは、全力で口説く、誠実に口説くの2点に尽きる。

全力で口説く、というのは、事業への熱い思いや会社への誇り、それから、その人の力がどれだけ必要かを熱心にストレートに伝えるということにほかならない。それはもう、全力であたる。欲しい人材は何年かかってもずっと追いかける。

相手にとって人生の重大な選択となることを忘れずに、正直に会社の問題や悩み、イケてないところなども話さなければならない。経営者や人事担当者だけではなく、なるべく多くの社員に会ってもらって会社の実態を肌で感じてもらうのもそのためだ。

なぜ育つか、というと、これまた単純な話で恐縮だが、任せる、という一言に尽きる。

人は、人によって育てられるのではなく、仕事で育つ。しかも成功体験でジャンプする。それも簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうちまわって七転八倒したあげくの成功なら大きなジャンプとなる。

自分が接したすごい人たちを思い浮かべると、なんとなく「素直だけど頑固」「頑固だけど素直」ということは共通しているように感じる。

たとえば新規事業が行き詰っているとき、誰々に会って話を聞いたらどうか、××という他国のサービスを使い込んでみたらどうか、などというアクションに関するアドバイスをすると、必ず素直に、徹底的にやる。ところが、ターゲットユーザー層をずらしたほうがよいのではとか、機能を思い切って半分に減らしてみたらだと、結論に関するアドバイスをしても心底納得するのに時間がかかる。

労を惜しまずにコトにあたる、他人の助言には、オープンに耳を傾ける、しかし人におもねらずに、自分の仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている。

逃げずに壁に立ち向かう仕事ぶりを見せあうなかで築いた人脈以外は、仕事では役に立たないと痛感している。

誰もが自分のことで忙しいときに、自分の仕事の最短ルートから少し外れてでもほかの誰かのために何かをしようとするならば、それは、ひたむきな仕事ぶりに魅せられた相手に対してだけなのではないだろうか。